瀬田ゼミOBOG会2019開催 ― 2019/10/12 23:04
瀬田ゼミOBOG会2019を開催します。
日時 2019年10月26日(土)
場所 瀬田先生の講演会 武蔵大学8号館(6F)
懇親会 同8号館50周年記念ホール(8F)
詳細は下記をごらんください。
https://shirakiji.net/20191026-3/
日時 2019年10月26日(土)
場所 瀬田先生の講演会 武蔵大学8号館(6F)
懇親会 同8号館50周年記念ホール(8F)
詳細は下記をごらんください。
https://shirakiji.net/20191026-3/
一本松と末の松山 ― 2011/08/30 09:51
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市。
その海岸線に広がっていた「高田松原」は、
緑の松林が白砂と碧い海に映える、東北有数の景勝地でした。
弓なりの砂浜に、地元の豪商が松を植えたのは1667(寛文)7年。
全長2kmの防潮林として、
明治・昭和の大津波やチリ地震から陸前高田を守ってきたのです。
それを根こそぎさらってしまった10mを超す大津波。
7万本の松の中からたった1本だけ残った「奇跡の松」は、
市民の希望のシンボル。
枯らさないだけでなく、
次世代を残す接ぎ木など、様々な努力が続いています。
一方、東北の歌枕として知られる「末の松山」は、
869(貞観11)年の巨大地震をはじめ、度重なる津波に耐えた松山として、
10世紀初頭の古今和歌集の時代から繰り返し、都人に詠まれてきました。
たとえば、後拾遺集に載り、百人一首にもある次の歌などが知られています。
(作者は清少納言のお父さん・清原元輔)
ちぎりきな かたみに袖をしぼりつつ、末の松山 浪越さじとは
末の松山の正確な場所はわかっていませんが、
宮城県多賀城市八幡の宝国寺の推定樹齢480年のクロマツが、
その名残とみられています
こちらは海岸線ではなく、小高い丘の上にあるため、
今回も浪が越すことはありませんでした。
9月1日を前に防災への関心が高まる中、
歴史から学べる防災の知恵が、もっと活かされるといいですね。
その海岸線に広がっていた「高田松原」は、
緑の松林が白砂と碧い海に映える、東北有数の景勝地でした。
弓なりの砂浜に、地元の豪商が松を植えたのは1667(寛文)7年。
全長2kmの防潮林として、
明治・昭和の大津波やチリ地震から陸前高田を守ってきたのです。
それを根こそぎさらってしまった10mを超す大津波。
7万本の松の中からたった1本だけ残った「奇跡の松」は、
市民の希望のシンボル。
枯らさないだけでなく、
次世代を残す接ぎ木など、様々な努力が続いています。
一方、東北の歌枕として知られる「末の松山」は、
869(貞観11)年の巨大地震をはじめ、度重なる津波に耐えた松山として、
10世紀初頭の古今和歌集の時代から繰り返し、都人に詠まれてきました。
たとえば、後拾遺集に載り、百人一首にもある次の歌などが知られています。
(作者は清少納言のお父さん・清原元輔)
ちぎりきな かたみに袖をしぼりつつ、末の松山 浪越さじとは
末の松山の正確な場所はわかっていませんが、
宮城県多賀城市八幡の宝国寺の推定樹齢480年のクロマツが、
その名残とみられています
こちらは海岸線ではなく、小高い丘の上にあるため、
今回も浪が越すことはありませんでした。
9月1日を前に防災への関心が高まる中、
歴史から学べる防災の知恵が、もっと活かされるといいですね。
瀬田ゼミの展示 ― 2011/06/27 15:20
武蔵大学図書館で、瀬田ゼミの展示が行われています。
場所は1階の入り口から入ってすぐ。
被災地を岩手、宮城、福島の3地域に分けてグループで担当し、
各地の被災の状況や被害が大きくなった原因などを調べたもの。
学生さんたちの手書きの文字がいい味を出しています。
瀬田先生の発案で図書館が新たに購入した、
被災地の市町村史(誌)は120冊を超えました。
平成の大合併で消えた旧町名のものもできるだけそろえたそうです。
展示されているのはほんの一部ですが、
それだけに、今回の震災の被害の大きさが感じられます。
明治時代の被災の様子を3回にわたって伝えた
「風俗画報」(復刻版)も貴重な資料。
避難所のスケッチは現在の苦境そのままで、
災害に学ぶこと、歴史を忘れないことの
大切さが身にしみます。
展示期間は3週程度の予定でしたが、
7月中頃まで延期される見通しです。
梅雨の合間、久々に母校を訪ねてみてはいかがでしょうか。
ただし、久々の図書館はIT化されてとまどいも少々。
カードがないと入れません…。
でも入り口脇のブザーを押せば、カウンターの人が対応してくれます。
OBなのですから、堂々と訪ねてみてください。
場所は1階の入り口から入ってすぐ。
被災地を岩手、宮城、福島の3地域に分けてグループで担当し、
各地の被災の状況や被害が大きくなった原因などを調べたもの。
学生さんたちの手書きの文字がいい味を出しています。
瀬田先生の発案で図書館が新たに購入した、
被災地の市町村史(誌)は120冊を超えました。
平成の大合併で消えた旧町名のものもできるだけそろえたそうです。
展示されているのはほんの一部ですが、
それだけに、今回の震災の被害の大きさが感じられます。
明治時代の被災の様子を3回にわたって伝えた
「風俗画報」(復刻版)も貴重な資料。
避難所のスケッチは現在の苦境そのままで、
災害に学ぶこと、歴史を忘れないことの
大切さが身にしみます。
展示期間は3週程度の予定でしたが、
7月中頃まで延期される見通しです。
梅雨の合間、久々に母校を訪ねてみてはいかがでしょうか。
ただし、久々の図書館はIT化されてとまどいも少々。
カードがないと入れません…。
でも入り口脇のブザーを押せば、カウンターの人が対応してくれます。
OBなのですから、堂々と訪ねてみてください。
畠山さんから葉書が届きました ― 2011/06/20 11:11
畠山重篤さんから、「旧木ゼミ御一同」宛で葉書が届きました。
拝復 新緑の候、
皆様におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、この度当地を襲った東日本大震災に際しまして、
早々に温情あふれるお心遣いを賜りましたこと、
誠に有難く衷心より御礼を申し上げます。
この度の震災により三陸地方は想像を絶する被害を受け、
また私共の気仙沼市唐桑町舞根地区では、五十二戸中、四十四戸が流失、
二人の方が亡くなられ、未だ行方の分からない二人の方の捜索が今も懸命に行われております。
このような状況下、喪に服しながら私共も、復興に向けてゆっくりと新しい歩みを始めました。
六月五日には、震災後も変わることのない森と川と海との連環、
そして皆様の多大なるご支援により、大勢の参加者を迎えて第二十三回森は海の恋人植樹祭を開催することができました。
一日も早い三陸の復興、当地方、並びに水山養殖場の復興に力を尽くして参ります。
長い道程ですが、今後も皆様のご支援、ご協力を賜ります様、心よりお願いを申し上げます。
早速拝眉の上御礼を申し上げるべきところですが、
取り急ぎ書中をもって御礼ならびに現況のご報告まで申し上げます。
敬具
平成二十三年六月
漁師 畠 山 重 篤
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「漁師 畠山重篤」という名乗りには、覚悟は決めたという強い決意が感じられますね。
瀬田
畠山さんの活動の詳細は下記のホームページで見られます。
http://www.mori-umi.org/
拝復 新緑の候、
皆様におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、この度当地を襲った東日本大震災に際しまして、
早々に温情あふれるお心遣いを賜りましたこと、
誠に有難く衷心より御礼を申し上げます。
この度の震災により三陸地方は想像を絶する被害を受け、
また私共の気仙沼市唐桑町舞根地区では、五十二戸中、四十四戸が流失、
二人の方が亡くなられ、未だ行方の分からない二人の方の捜索が今も懸命に行われております。
このような状況下、喪に服しながら私共も、復興に向けてゆっくりと新しい歩みを始めました。
六月五日には、震災後も変わることのない森と川と海との連環、
そして皆様の多大なるご支援により、大勢の参加者を迎えて第二十三回森は海の恋人植樹祭を開催することができました。
一日も早い三陸の復興、当地方、並びに水山養殖場の復興に力を尽くして参ります。
長い道程ですが、今後も皆様のご支援、ご協力を賜ります様、心よりお願いを申し上げます。
早速拝眉の上御礼を申し上げるべきところですが、
取り急ぎ書中をもって御礼ならびに現況のご報告まで申し上げます。
敬具
平成二十三年六月
漁師 畠 山 重 篤
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「漁師 畠山重篤」という名乗りには、覚悟は決めたという強い決意が感じられますね。
瀬田
畠山さんの活動の詳細は下記のホームページで見られます。
http://www.mori-umi.org/
「森は海の恋人」植樹祭 ― 2011/06/06 11:05
木ゼミがお世話になった畠山重篤さんが推進してきた
「森は海の恋人」運動の植樹祭が、6月5日、
気仙沼湾に注ぐ大川の上流、岩手県一関市の矢越山麓で行われました。
東日本大震災の津波で大きな被害を受け、
畠山さんも「今年は無理だ」と思っていたそうで、開催が危ぶまれていました。
しかし、一関市室根地区の自治会が
「今年はお客さんでいいからぜひやろう」と声をかけ、
被災した漁師さんたちも参加しました。
会場には約1200人が訪れ、ブナやコナラなど40種、
約1000本の広葉樹が植えられました。
はるかに気仙沼湾を望む矢越山。
小さな苗木の一本一本に、豊かな海を取り戻す使命が託されました。
「森は海の恋人」運動の植樹祭が、6月5日、
気仙沼湾に注ぐ大川の上流、岩手県一関市の矢越山麓で行われました。
東日本大震災の津波で大きな被害を受け、
畠山さんも「今年は無理だ」と思っていたそうで、開催が危ぶまれていました。
しかし、一関市室根地区の自治会が
「今年はお客さんでいいからぜひやろう」と声をかけ、
被災した漁師さんたちも参加しました。
会場には約1200人が訪れ、ブナやコナラなど40種、
約1000本の広葉樹が植えられました。
はるかに気仙沼湾を望む矢越山。
小さな苗木の一本一本に、豊かな海を取り戻す使命が託されました。
最近のコメント